「自分は何者か」が「何をすべきか」より難しい理由
同一性の問いには、終了条件も、答え合わせも、外からの検証もありません。課題の問いには三つとも揃っています。だから片方だけが先に片付き、もう片方はいつまでも残ります。
深夜に「自分は何をしている人間なのか」と考え始めて、一時間後、何も決まらないまま眠くなる。翌朝、目の前の仕事に取りかかると、それは進みます。この落差を、集中力や現実逃避の問題として説明する人が多いのですが、二つの問いは構造がまったく違います。片方は解ける形をしていて、もう片方はしていない。
課題の問いが持っている三つのもの
「この資料をどう直すか」には停止条件があります。直し終われば終わりです。答え合わせもあります。出してみれば通るか通らないかが分かる。そして外部の検証があります。自分が良いと思うかどうかとは別に、他人が受け取るという事実がある。
「自分は何者か」には、この三つがどれもありません。どこまで考えたら終わりなのか誰も決めていないし、出した答えが正しいかを確かめる手段もないし、外にある基準も存在しません。同じ脳で同じ時間を使っても、進んでいる感覚が返ってこないのは当然です。進捗を測る目盛りがないからです。
そして、問いが答えを書き換える
もう一段面倒なのは、答えている最中に対象が変わることです。人は自分の内側を読んで「自分はこういう人間だ」と判定しているわけではなく、自分がしたことを見て推論している部分がかなりあります。三か月続けて早起きしたあとに「自分は朝型だ」と思い、二週間人を避けたあとに「自分は人が苦手だ」と思う。
つまり、この問いに答える行為そのものが、次の答えの材料になります。「自分は続かない人間だ」と書いた人は、その文をこれから読む立場に立ちます。物差しが測定対象に含まれている状態で、安定した答えを期待するのは無理があります。
McAdams の一連の仕事は、人が自分の人生を物語として構成しているという見方を提示していて、この現象を語る語彙としては便利です。ただし、これは解釈のための枠組みであって、あなたが次に何をするかを予測する理論ではありません。物語として整った説明ができることと、その説明が正しいことは別です。
なぜ「何をすべきか」が先に居座るのか
二つの問いが同時に机の上にあるとき、答えられるほうが先に片付きます。これは怠慢ではなく、単に一方だけが解ける形をしているからです。
問題は、片付いた側が場所を占め続けることです。転職先を決め、住む場所を決め、日々の予定を埋めると、その集合が事実上の答えになります。誰もそれを選んだ覚えがないのに、それが答えとして固まる。数年経ってから違和感が出るのは、たいていこの経路です。
実際に効く訊き方
抽象的に訊いても答えが出ないなら、訊き方を変えるしかありません。いくつか、実際に何かが出てくる形があります。
- 三人称で訊く。「自分は何者か」ではなく「この人はどういう人か」。自分についての判断は自己防衛と混ざりますが、他人についての判断はもう少し素直に出てきます。
- 領域を限定して訊く。「仕事において自分は何を優先しているか」なら答えが出ます。人生全体について訊くと、範囲が広すぎて何も定まりません。
- 記録から訊く。この半年、時間と金が実際にどこへ行ったか。予定表と明細は、あなたの自己申告より正直です。答えが気に入らないことも含めて。
- 順序で訊く。二つを比べさせるのではなく、どちらを先にするかを訊く。優先順位は言葉より行動に近い形で出てきます。
共通しているのは、どれも抽象度を下げていることです。この問いが難しいのは深いからではなく、境界がないからで、境界を人工的に引くと途端に答えられるようになります。
順序についての一つの選択
Waterline が能力について訊く前に、条件と構造について訊くのは、この順序の問題への一つの対応です。「自分はこれがどれくらいできるか」を先に答えると、その判定が下の層の読み方に色をつけます。有能だと今しがた書いた人は自分の条件を寛大に読み、その逆の人は厳しく読む。
順序が正しいと主張するつもりはありません。ただ、どこから訊くかが答えに影響する以上、どこから訊くかは選択であって、選ばないという選択肢は存在しません。
答えが出ないままでいること
最後に。この問いに終了条件がないということは、答えが出ないのは失敗ではない、という意味でもあります。停止条件のない問いを未解決のまま抱えているのは、正常な状態です。
困るのは、答えが出ないこと自体を、自分についての悪い証拠として読み始めるときです。それは、目盛りのない計器を読んで数値が低いと判断しているのと同じことをしています。
よくある質問
なぜ「自分は何者か」を考えても結論が出ないのですか。
その問いに停止条件がないからです。どこまで考えたら終わりかを決めるものがなく、出した答えを確かめる手段もなく、外部の基準もありません。課題の問いにはこの三つが揃っているので進んだ感覚が返ってきます。
自己分析をすると答えが変わってしまいます。
自然なことです。人は自分の内側を読むだけでなく、自分がしたことから自分を推論している部分が大きいので、答える行為そのものが次の材料になります。安定した一つの答えを前提にするより、日付のついた記述として扱うほうが実際的です。
もっと具体的に考えるにはどうすればよいですか。
領域を限定する、三人称で訊く、この半年で時間と金が実際にどこへ行ったかを見る、といった形で抽象度を下げると答えが出やすくなります。人生全体について一度に訊くと、範囲が広すぎて何も定まりません。
答えが出ないまま何年も経っているのですが。
停止条件のない問いなので、未解決であること自体は失敗を意味しません。注意したほうがよいのは、答えが出ないことを自分についての悪い証拠として読み始めるときです。目盛りのない計器の値を低いと判定しているのと同じことになります。
自分の八層を見てみる
Waterline は一人の人生を氷山として描きます。水面の上に能力と目に見える成果、その下に七つの層。各項目はいちばん近い段を選ぶだけで、返ってくるのは判定ではなく形です。無料、アカウント不要、通信は一度も発生しません。書いたものは端末の中に残ります。