なぜ他人から見た自分は、自分の思っている自分と違うのか
自分では控えめなつもりが冷たいと言われ、率直なつもりが強いと言われる。この食い違いは誤解というより、相手が読んでいる材料が自分の読んでいる材料と違うことから来ています。
人事評価のコメントを読んだとき、あるいは飲みの席で友人が「そういうところあるよね」と言ったとき、心のなかで一瞬止まる。そんな評価をされる覚えがない、というより、自分の中で起きていたことと、相手が見ていたものが、どうしても同じ出来事に思えない。多くの人が、この食い違いを「誤解された」と処理します。処理としては自然ですが、たいていは正確ではありません。相手は、あなたが自分を読むときに使っている材料の、ごく一部しか手にしていないのです。
四つの区画という古い図式
一九五〇年代、集団訓練のワークショップのために作られた図があります。作った二人の名前を合わせてジョハリの窓と呼ばれるもので、自分が知っている/知らない、他人が知っている/知らない、という二本の線で四つの区画を作ります。両方が知っている「開放」、他人だけが知っている「盲点」、自分だけが知っている「秘密」、どちらも知らない「未知」。
ここで先に書いておくべきことがあります。この図は測定の道具ではありません。ワークショップの説明用に作られた図式で、以後半世紀以上使われ続けている一方、尺度として妥当性が検証されたことはありませんし、四つの区画の大きさを測る方法もありません。これを持ち出す価値は、証拠としてではなく語彙としてです。「他人だけが知っている領域がある」と言葉にできること自体が、話の輪郭を作ってくれます。それ以上のものとして扱うと、根拠のない図に根拠のない自信を預けることになります。
実際に測られていること
一致するのは、外から見える性質だけ
自己評価と他者評価の一致を調べた研究は膨大にありますが、そこで繰り返し出てくるのは「そこそこ一致する、ただし性質による」という地味な結論です。外向性や勤勉さのように、行動として観察できるものは比較的よく一致します。一方、神経症傾向、不安の強さ、何を大事にしているかといった内面寄りのものになると、一致は目に見えて落ちます。あなたが自分の内側について報告している内容と、同僚があなたについて報告している内容は、そもそも同じ対象を指していないことがある、ということです。
自分は意図を読み、相手は行動を読む
もっと単純な非対称もあります。会議で黙っていたとき、あなたは「話がまとまるまで待っていた」という内側の事情まで含めて自分を評価します。同席していた人が持っているのは「黙っていた」という事実だけです。この違いは、自分の振る舞いは状況のせいにし、他人の振る舞いは性格のせいにしがちだという古い観察と地続きです。
さらに厄介なのは、自分の内側は思っているほど外に漏れていない、ということです。緊張しているとき、本人には手の震えも声の変化もはっきり感じられるのに、聞いている側はほとんど気づいていない。この、内面の可視性を過大評価する傾向は繰り返し観察されています。つまり「あれだけ気を遣ったのに伝わっていない」という感覚は、多くの場合、気を遣ったことが実際に外に出ていなかっただけです。
この非対称をどう扱うか
対処として役に立つのは、「本当の自分はどっちなのか」を決めようとしないことです。どちらも本当で、材料が違います。相手の像は、あなたの行動という限られた入力から作られた、その入力に対しては妥当な推論です。あなたの像は、意図と経緯まで含んだ、その情報に対しては妥当な推論です。二つを足しても一つの真実にはなりませんが、二つあると分かっているほうが、片方だけ握りしめているより落ち着きます。
実務的な話をすると、他人の像を更新したいなら、内側を説明するより行動のほうを動かすほうが早いことが多いです。逆に、自分の像を更新したいなら、感想ではなく具体的な場面を訊くことです。「自分ってどう見える」ではなく「先週のあの打ち合わせで、自分の言い方はどう聞こえたか」。前者は相手に要約を要求していて、要約は当たり障りのない方向に丸まります。
Waterline の図で言えば、他人がアクセスできるのは水面の上に出ている一層です。あなたが自分について知っていることの大半は、その線の下にあります。相手が薄い像を持っているのは、注意が足りないからではなく、それしか渡されていないからです。
ただし、相手が正しいこともある
ここまでは自分側を弁護するように読めるかもしれないので、逆も書いておきます。行動しか見えない立場は、情報が少ない代わりに、こちらの自己申告に汚染されていません。あなたが自分について語る物語は、あなたにとって都合よく整っている可能性が常にあります。同じ指摘が、関係のない三人から別々に出てきたなら、それは相手の誤解というより、こちら側の盲点である見込みのほうが高くなります。
一致しない項目を見つけたときに知るべきなのは、どちらが勝ちかではありません。その項目が、外から見える種類のものかどうかです。見えるものについて相手と食い違っているなら、こちらの申告を疑う理由があります。見えないものについて食い違っているなら、それは食い違って当然のものです。
よくある質問
ジョハリの窓は信頼できる心理テストですか。
心理テストではありません。一九五〇年代の集団訓練のために作られた説明用の図式で、区画の大きさを測る方法もなければ、尺度としての妥当性検証もありません。言葉の道具としては便利ですが、診断や測定として扱うべきものではありません。
自分と他人の評価は、どのくらい一致するものですか。
性質によります。外向性や勤勉さのように行動として観察できるものは比較的よく一致し、不安の強さや価値観のような内面寄りのものは一致が落ちます。一致度は全体としては中程度で、完全な一致を期待する根拠はありません。
緊張しているのが相手にばれていないか気になります。
内面の変化は、本人が感じるほど外には出ていないことが多いと繰り返し観察されています。感じている動揺の大きさと、相手が受け取っている情報量は、同じではありません。ただしこれは平均的な傾向の話で、あなたの特定の場面について保証するものではありません。
他人からの指摘は、どこまで受け取るべきですか。
指摘の内容が外から見える種類のものか、内面についての推測かで分けるのが実際的です。前者について複数の人が独立に同じことを言うなら、自己申告のほうを疑う根拠になります。後者は、相手が持っていない情報について推測しているので、重みは下がります。
自分の八層を見てみる
Waterline は一人の人生を氷山として描きます。水面の上に能力と目に見える成果、その下に七つの層。各項目はいちばん近い段を選ぶだけで、返ってくるのは判定ではなく形です。無料、アカウント不要、通信は一度も発生しません。書いたものは端末の中に残ります。